Romain Didier "Dans ce piano tout noir" ロマン・ディディエ『この真っ黒なピアノの中に』
ロマン・ディディエさん(1949年生、現在67歳)には、2011年に亡くなったアラン・ルプレストの縁で、生前のルプレストのコンサート楽屋で2度会ったことがあります。酔いどれの詩人ルプレストとは1985年以来作詞作曲の盟友関係でしたが、ルプレストがパフォーマーとして激しく前面に出て行ったのに対して、ロマン・ディディエは自作自演歌手としては比較的地味なアーチストとして通っていました。ピアノのヴィルツオーゾ、編曲者として多くのシャンソン・アーチストの裏方だったような職人人生。自身の名義のアルバムは20枚以上出しているのに。そんなシャンソン人生を振り返って、「ロマン・ディディエ、ロマン・ディディエを歌う」という形式の全曲メドレーつながりのピアノ弾き語りアルバム。36曲76分。その歌の発表時期を振り返るように、ミッシェル・ルグランやジョルジュ・ブラッサンスなどのメロディーをインターリュードとして挟みながら、自分のシャンソン人生を噛み締めるように自作曲を歌い込みます。これは2015年のアヴィニョン演劇祭の時にスペクタクルとして立ち上げたロマン・ディディエ・ワンマンショーとして創作されたもの。ピアノと歌唱だけの一人世界。目の前で歌ってくれるような息づかい、指づかい。この黒いピアノの中に全てが詰まっている、というピアノマンアーチストのカタルシス。それがアルバムタイトルであり、1988年発表の「この真っ黒のピアノの中に Dans ce piano tout noir」という歌です。
ミッシェル・ジョナス("La Famille" 4曲め)、ムールージ("Un jour tu verras"11曲め)、ジルベール・ベコー("Et maintenant" 24曲め)というロマン・ディディエと共有世界を持つ人の作品3曲を挟みながら、一挙に弾き語ってしまう36曲。多分永遠に終わりたくなさそうなシャンソン職人のとめどない歌心。止めてはいけません。
<<<トラックリスト>>> 1. DANS CE PIANO TOUT NOIR 2. MON ECHARPE GRISE 3. SA JEUNESSE 4. LA FAMILLE (Michel Jonasz) 5. L'ENFANT QUE J'ETAIS 6. MON ENFANCE 7. STASTION EMILE ZOLA 8. JLIE LA LOIRE 9. EN ETE 42 (Michel Legrand) 10. SI UN JOUR C'EST FINI 11. UN JOUR TU VERRAS (Mouloudji) 12. PETIT MATIN 13. LA CHANSON DES VIEUX AMANTS (Georges Brassens) 14. JE T'AIME EN BRAILLE 15. LES PASSANTES 16. LA DAME DE MONTPARNASSE 17. LE DOUX CHAGRIN 18. DANS MA RUE 19. J'AI NOTE 20. TU T'LAISSES ALLER 21. A QUOI CA TIEN 22. TU M'AS VOLE LA MER DU NORD 23. A DES ANNEES LUMIERE 24. ET MAINTENANT (Gilbert Bécaud) 25. IL N'AURAIT FALLU 26. L'AEROPORT DE FIUMICINO 27. PLEURE PAS 28. NE PLEURE PAS JEANNETTE - LE PONT DU NORD 29. LES COMPTINES 30. LA FILLE DU GEOLIER DE NANTES 31. EST-CE AINSI QUE LES HOMMES VIVENT 32. JE ME SOUVIENS 33. DIX PIEDS SOUS TERRE 34. INSOLENTE ET INFIDELE 35. AU BOUT DES RAILS 36. LE CLOCHER DE GREENWICH ROMAIN DIDIER "DANS CE PIANO TOUT NOIR" CD TACET/L'AUTRE DISTRIBUTION TCT-RD-10961606 フランスでのリリース:2016年9月23日
Christophe Bourseiller "Vie Et Mort de Guy Debord" クリストフ・ブールセイエ『ギイ・ドボールの生と死』 (1999年10月刊)
"Faut-il virer Guy Debord?"(ギイ・ドボールを追い出すべきか?)。こういう見出しの1ページ記事が、世界的女性誌の権威とでも言うべきELLE誌の1999年11月22日号に載ったのである。ブーム(フランス語では "phénomène"フェノメーヌ)なのだそうである。確かに一般的な雑誌メディアで昨今よく見る名前である。このELLE誌の記事の中で、いまどきのギイ・ドボールの 信奉者たちについて「ギイ・ドボールを引用する人たちの半数はギイ・ドボールを一度も読んだことがない。そして残りの半数は一度も理解したことがない」と看破している。その代表的著書『スペクタクルの社会(La société du spectacle)』(初刊1967年。邦訳は遅れに遅れて1993年木下誠訳、平凡社から刊行)を読もうが読むまいが、彼の思想シチュアニショニスム(状況主義)を理解しようがしまいが、今、ギイ・ドボールを持ち上げることは、シックでブランシェ(先端的)なことなのである。それは今日フランスで最も先端のTVジャーナリズムと言えるカナル・プリュスや、雑誌レ・ザンロキュプティーブル、新聞リベラシオンなどの、シックでブランシェなトンガリ人種が信奉しているのだから、軽薄な新しモノ好きたちが放っておくわけがない。
確かにギイ・ドボールに関する書物は今年になって十数種も刊行されており、大規模総合文化ショップチェーンのFNACの各店では、ギイ・ドボールの特設コーナーができたほどである。本書はその中の一冊で、著者クリストフ・ブールセイエは四十代前半のジャーナリストで、あらゆる前衛に関するスペシャリストという特異な専門分野を持つ、TVやラジオにも出演し、さらに副業で映画俳優もするというマルチな男。私はこのブールセイエという人物がかなり前から気になっていた。80年代にパリの週刊シティーガイド誌で、老舗パリスコープ誌とロフィシエル誌という二大ガイド誌に挑戦した "7 à Paris(セッタ・パリ)"という短命なガイド誌があったが、ブールセイエはその副編集長兼主筆であった。この週刊ガイドは、もう最初から老舗2誌と同じことをするのではダメだと悟っており、ガイド誌的情報はきっちり事務的に網羅しておきながら、他の紙面はほとんど冗談に近いアナーキーさで、B級映画ガイド、誰も読まない本の書評。超くだらないレコードのレヴューなどで。一部の熱狂的な読者層をつかむことになる。そして末期には、パリ市議選挙に比例代表制の政党として立候補し、名誉のX%の得票を得て沈没してしまう。このメジャーなメディア社会の中で、これほど世の中を過激におちょくった雑誌の中心人物がブールセイエであった。そして私はブールセイエ(とその先駆的メディア初期リベラシオン紙)から、学び、受け継いだものがある。それは「タイトル・記事見出し」であり、記事内容と何ら関係がなくても、強烈で冗句的で記憶に留まるものであればいい、という見出し・タイトルの付け方である。それは当ホームぺーじの随所で同じポリシーが機能しているので、読書の諸姉諸兄はもう慣れているだろう。
かつて日本の某音楽雑誌に、アルジェリアのポップ・ミュージックであるライが、イスラム原理主義のテロの猛威の前にかなり変容しているというかなり深刻な記事を寄稿して、そのタイトルに「揺らぐライの足場、アシバライ」とつけたら、見事にボツになった。わからない人たちには通用しないであろうが、私は内容とシンクロしなくてもいいから目立てばいいタイトルの決め方、ということをブールセイエから多くを学んだ。
そしてブールセイエはそれをギイ・ドボールから学んでいたのである。それは極端な詩的一行であり、一行で決める落書き的効果であり、「XXX反対」とか「XXX粉砕」とかではない、「真実など何もない、すべては許される Rien est vrai, tout est permis」や「弁証法でレンガが壊せるか? La dialectique peut-elle casser des briques?」や「決して働くことなかれ Ne travaillez jamais」などといった、必殺の一行でなければならないのである。
1994年ギイ・ドボールが62歳で自殺した時でさえ、一般の人々にはドボールはほとんど無名の人間であった。テレビラジオを初めとした大衆メディアには登場しなかったというだけではない。彼の思想は伝播しづらい性格のものであり、また伝播されることを目的としていない性格もある。
68年5月革命を準備したと評価されるドボールのシチュアショニスム運動は、その母体となる団体アンテルナシシオナル・シチュアニスト(l'Internationale Situaniste 略称IS)の活動期間(1957-1972),を超えることなく、68年を契機に一時的に広い範囲の支持を得たにも関わらず、度重なる内紛とメディアの黙殺の末に姿を消している。これはメディア的な膨張を極端に嫌うドボールの意図的な拡大防止策であったと言われる。
パリのブルジョワの家庭に生まれ、南仏に育ち、学生としてパリに登ってきても、自分の衣類を洗濯することも知らなくて、いちいち南仏の祖母に洗濯物を送っていた。1951年、シュールレアリスムから派生した芸術運動レトリスムと合流、1952年、初の長編映画『サドに加担する呻き声』 を発表。この映画は20分のギタギタに分断された対話と、沈黙の1時間、さらに終盤20分は音も映像もない静寂の黒スクリーンが延々と続くというもの。レトリストたちはこの映画の上映によって巻き起こる観客たちの喧騒と怒号を楽しんでいた、というわけである。早くもドボールはこの上映に際して「もはや映画はない。映画は死んだ」と宣言していた。
スキャンダルと挑発に長けたこの若者は、2年も経たずにレトリスムの頭目イジドール・イズーを乗り越えてしまい、1953年にはその分派アンテルナオシオナル・レトリスト(l'Internationale Lettriste、略称IL)を結成、機関誌ポトラッチ(Potlach)を刊行、芸術と政治の両領域で過激な論を展開するのであった。
この若き日のドボールにおいて私がとても魅力を感じるのは、彼が若くして無類の酒呑みであり、このような芸術・政治運動の討論も決議も毎日深夜から明け方までのビストロで行われており、彼の周りにはインテリと縁のない泥棒やチンピラなどもいて、猥雑な飲み屋の中の騒然とした環境の中でドボール思想が培われていったということである。そしてビストロの中で居合わせたポルトガル人やモロッコ人と意気投合することが、そのまま「アンテルナシオナル(l'Internationale = 国際組織)」を名乗るスケールになっているのである。深夜の酒場で結団されるアンテルナシオナル、こういう世界の見え方が素敵だ。しかし文字通り「アル中で乱暴者」の彼らは当然の成り行きとして酒場をグジャグジャにしてしまうので、しょっちゅう酒場の出入り禁止を喰らい、行きつけの店をその都度失ってしまい、新しい店に流れていくのである。
このほとんど愚連隊と言っていいILの行状こそ「日常生活の冒険」として位置付け、第八芸術は生そのものである、という論を機関誌ポトラッチは展開していく。彼らは伝統的左翼のような未来的(社会主義建設)なヴィジョンを問題にせず、今ここにある生、生の場所的現在の変革を訴える。これはドボールと親交のあった(そして後に大げんかして訣別する)唯一の大学人アンリ・ルフェーブルの著『日常生活批判』のベースとなる思想を増幅して戦闘的にしたものと言える。
その生に局面局面における現場を彼らはシチュアシオン(状況)と呼ぶのである。シュールレアリスム、レトリスム、アナーキズム、そしてアンリ・ルフェーヴルの日常論を母体に、シチュアショニスム(状況主義)(通称SITUシチュ)は生まれた。シチュの基本思想は「剰余労働を強いられた受動的な生と決別して、密度の濃い生の瞬間=状況を作り出すこと」である。またシチュの代表的な68年落書きスローガンでは
Patrick Modiano "Un Pédigree" パトリック・モディアノ『ある血統』 (2004年12月刊 )
これは20世紀後半のフランスを代表する作家パトリック・モディアノが、いかにして作家になったかを、自から解題する作品である。 私には読後すぐに、この小説からある程度距離のある二つのことが頭に上ってきた。ひとつはあの善良なアナキン・スカイウォーカーが、いかにして悪の権化ダース・ベーダーになりえたか、ということである。ジョージ・ルーカスはその『スター・ウォーズ/エピソード 1.2.3』という長大なサーガでそれを説明しようとするのであるが、そこで悪いのは「血」ではない。モディアノはこの自伝的な小説を『ある血統』と題することで、ある血の問題が介在することを喚起しているわけだが、スター・ウォーズ的な表現を使えば、確かにモディアノの父親はダークサイド(フランス語では côté obscur コテ・オプスキュール)の側の人間であり、ユダヤ人にして第二次大戦中の対独協力者かつブラックマーケットの商人であった。 もうひとつはドイツの乗用車メーカー、アウディの2005年冬のTVコマーシャルスポットで、そのスローガンは "La mémoire est séléctive"(記憶は選択的である)というものである。 4つの例が出てきて、ぼやけた背景の中からブランコに乗った二人の少女だけが鮮明な画像で現れて消え、ふたつめは人に連れられた吠える猛犬(猛犬しか見えない)、三つめはバレエの男女ペアの踊りで、男の腕に倒れ込む女性バレリーナの顔だけがはっきり見えて他はぼやけている。4つめはアウディの車からドアを開けてひとりの人間が降りてくるが、その人間は全く目に入らず(=ぼやけていて)、アウディ車の姿だけが記憶に残る、というもの。記憶は確かに選択的である。往々にして自伝的な作品とはその選択された記憶の記録だけに終始するものである。だが、このモディアノの小説では鮮明でないぼやけた部分こそ重要なものであり、曖昧な状態のまま網羅的に記述される日時、場所の名前、あった事実の数々は選択的に書かれているのではなく、むしろ飛行機事故後に飛行操縦士の全会話が録音されたブラックボックスを開く思いがする。何がカギで何がカギでないのかをモディアノは選択していないのだ。