2020年9月2日水曜日

空には飛行船 地上にはお祭り



アメリー・ノトンブ
『飛行船』
Amélie Nothomb "Les Aérostats"


2020年8月19日、コ禍第二波荒れ狂う中、アメリー・ノトンブの第29作めの小説は、何事もない夏と同じように書店に登場した。いつも通りジャン=バチスト・モンディーノによるポートレイト写真の表紙は、西の星空を仰ぐような上向き、上目遣い。この眼光で周囲のウイルスは滅却してしまうであろう。
 さて小説は時は現代、ところはベルギーの首都ブリュッセル。地方から出てきて首都の大学で「文献学(Philologie)」を学ぶ19歳のアンジュが話者・主人公。きつきつの貧乏学生ゆえ、安いアパルトマンをルームシェアで借りているが、シェア友のドナートは潔癖症・神経質・不平不満の塊で、彼女が勝手につくったルームシェア上の 細かい規則をアンジュに強要するが、経済的理由(倹約)を優先するアンジュはその小言や苦言や禁止命令を甘んじて受け、二人のシェア生活はどうにかこうにか...。しかしそれでも生活費の足りないアンジュは、「中高生向フランス語家庭教師します」の広告を出す。即日に飛び込んできたブリュッセルの超裕福な家庭の一人っ子の”失読症(dyslexie、読字障害)"を治してほしいという依頼。多額の報酬を提示され断れなくなったアンジュは、この難しい使命に乗り出すのだが、件の裕福家族はスイス国籍を持ち、父は "cambiste"(為替仲買人)という聞き慣れない職業を営み、ニューヨークからケイマン諸島を経てベルギーに最近移住してきたという、その富裕財産には人に言えない事情があることを伺わせる。16歳の一人息子ピー(Pie、第二次大戦時にナチスに協力的であった二人のローマ法皇、ピオ11世とピオ12世に因んだ名前と思われる)は、ブリュッセルのリセ・フランセに運転手つきポルシェで通学していて、数学や科学などには抜群の成績を取るものの、フランス語はディスレクシアのためどうしようもない。アンジュはすぐさまこのディスレクシアが戯画的なまでにわかりやすいこの親子関係に起因する心理的な”疾患”であることを見抜く。父グレゴワールは新自由資本主義的世界に成功した成金であるが、息子を愛しているにも関わらず、教育することができない。書斎にはりっぱな蔵書があるが、それを一冊とて読んだことがないのが見え見えである。息子に”物質的”成功を願うが、それを伝達する言葉もない。しかし息子を100%コントロールしたい。グレゴワールはアンジュがピーにレッスンをしているさまをすべて一部始終隣室からマジックミラーで観察している。ピーはそれを知らない。アンジュはレッスンが終わるたび、報酬の札束の入った封筒を持ったグレゴワールからレッスンに関するコメント(イチャモン、注文)をもらうがアンジュはすべてそれを論破する。そして何度となく、グレゴワールの盗聴盗視をやめるよう忠告するのだが...。
 さて小説の本筋は、19歳のアンジュが16歳のピーのコチコチに固まって、閉鎖的で、オタク的な精神をいかにして解放するか、という試みである。それはノトンブの小説世界で、同じように家庭教師としてその心の奥に迫ろうとした2007年の小説『イヴでもアダムでもなく』の東京の日本人学生リンリにフランス語を教える"アメリー”の試みのヴァリエーションのようにも読める。リンリも同じように大金持ち(白塗りのベンツ)の息子であり、オタク的(ヤクザ映画、スイスフォンデュ、聖堂騎士団への偏愛)であり、そして"アメリー”への恋に落ちて結婚を迫るが、"アメリー”はそれを「恋」とは認められず最終的に受け入れない。16歳のピーは同じように19歳のアンジュを恋慕するようになるのだが成就しない。この辺はノトンブの"本性”が出ている、どうしようもない何かだと思う。それは古今東西の文学がそうであるように、単純に、それが成就したら「文学」にならない、という絶対に破ることのできない鉄則なのだと理解したらいいよ、若い人たちはね。
 アンジュはこの少年ピーに対して、同情の片鱗もなく、きびしく、本が読めないのは本一冊を最初から最後まで読むということをしたことがないからだ、という独自のセオリーを展開し、字を読むことに死ぬほどの苦痛を感じる少年に、とにかく「まる一冊」をと強要する。最初の一冊はスタンダール『赤と黒』。これを1日で読め、と。そんなの絶対無理だ、という少年に、アンジュはだったら2日で読め、と容赦がない。それを少年は受けて立ち、2日後にはアンジュと『赤と黒』をめぐる文学論を戦わせるのである。この小説はこういうふうに古今の名作をアンジュ(すなわちアメリー・ノトンブの文学観の代弁者)の「正論」と、ピーの異端的で独創的な作品論(例えばこの『赤と黒』では、ピーはジュリアン・ソレルを卑劣漢と断定する)を戦わせるという、壮大な文学史論へと読者を導く。
 つまり、難攻不落な城を破るような苦もなく、ピーのディスレクシアは克服され、ピーはアンジュに導かれるまま古今の古典文学に挑んでいき、読書の苦渋と快楽を体験していく。そう、本を読むことは、人が言うような「愉しみ」だけではなく、苦痛や障壁ともぶつかる。アンジュはそれをピーに体験させていく。ホメロスイリーアス』、これは戦争と兵器がオタク的に好きなピーにはワクワクの戦記文学として読めたが、それに続いてホメロス『オデュッセイア』を読ませたら、荒唐無稽で辻褄の合わぬ不条理な英雄譚として嫌悪する。読み方は十人十色、これをノトンブはこの小説で文学の根源的な徳として提示する。(ノトンブ観点の)アンジュはピーの独創な読み方にある程度の反論を示しながらも、この子は文学によってどんどん開かれていくのを感じている。これを隣室でマジックミラーで監視観察している父グレゴワールは不安になっていく。父の知らない世界に息子がぐんぐん入って行くような。
 アンジュのピーに処方する文学セラピーは、古典から転じてカフカ『変身』、レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』を読ませるに至り、この小説の核心的主題である"アドレッセンス”(青春、思春期)に迫っていく。「若いという字は苦しい字に似てるわ」(アン真理子「悲しみは駆け足でやってくる」)、まさにこれであり、これ以上でもこれ以下でもない。『変身』で暗喩されたように、ある日突然やってくる「性徴」(リビドーのめざめ)は若い日の悪夢のような苦しみである。そしてラディゲ『肉体の悪魔』の主人公たちと同じように、アンジュとピーは19歳と16歳の生身の”青年青女”である。文学によってさまざな感性を”開発”されたピーは、アンジュに猛烈な恋慕を抱くようになるが、アンジュはそれをアメリー・ノトンブ的に達観して退ける。それは2007年のノトンブ小説『イヴでもアダムでもなく』の"アメリー”のリンリの恋慕への拒否と同じ構図である。すなわちこれは「恋(amour)」ではなく、「好み(goût)」のレベルでしかない、という断定なのである。しかし"アメリー”が「恋」ではなくリンリに名状しがたい思いを抱くように、アンジュはピーをなんとかしたい母性愛のような抗しがたい思いがある。
 兵器に対して並々ならぬオタク的興味がありながら、ノン・ヴァイオレントな少年であるピーと、アンジュが同じ波長で”愛”を共有した対象が「飛行船」であった。これほど美しい乗り物がこの世に存在しただろうか。二人はこの巨大で優雅で危険な機械に魅せられる。大戦はこの空飛ぶクジラを最もノン・ヴァイオレントな兵器として利用しようとし、その生命を断った。
 世間から隔離され、現実世界を知らずに育ったオタク少年ピーはアンジュと文学を通して、自分をどんどん解放していくが、アドレッセンスとはその限界を知らないものである。小説はピーをその極限まで向かわせてしまうのだが、それについてはここで詳しくは書かない。
 小説で最も美しいパッセージは、世間を知らず、人との触れ合いを知らなかったピーを、(父親の許可なく)アンジュがブリュッセルの大遊園地に連れ出すくだりである。そこにはピーの知らなかった大衆の「お祭り」があった。未体験のさまざまなアトラクション乗り物や射的に狂喜するピー。初めて現実世界に触れるような。そしてぐらんぐらんに揺さぶられるジェットコースターや上昇転落マシーンに極度に興奮しつつも、その衝撃で何度も嘔吐するのである。この嘔吐は初めて現実の不条理を直視した30歳のアントワーヌ・ロカンタン(サルトル『嘔吐』)へのリファレンスであろう。この嘔吐を喜びとして体験したピーはアンジュに問う「なんであなたは嘔吐しないの?」。するとアンジュはその遊園地で最も激しい上下・左右運動をするアトラクション乗り物に乗り込み、胃腸をひっくり返すような過酷な激動を体験して乗り物を降りたあと、げえげえ嘔吐して、ピーとその「喜び」を共有するのである。美しい。空には飛行船、地上にはお祭り(※)。
 前述のように、青春には限界がない。ノトンブ一流の青春残酷物語であるこの小説は、ピーのカタストロフ的悲劇を終盤にもってくる。
La jeunesse est un talent,
il faut des années pour l'acquérir
若さとはひとつの才能である
それをものにするには何年もの年月を要する
と、この小説は結語する。文学的リファレンス、文学による解放と救済を軸にしながら、残酷で一生かかっても自分のものにできない「青春」という魔物をわかりやすい寓話のように書き綴ったノトンブ、やはり大変な才能だと言わざるをえない。

Amélie Nothomb "Les Aérostats"
Albin Michel社刊(2020年8月19日)、180ページ、17,90ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(※ 註)"空には飛行船、地上にはお祭り”は1972年初演の別役実(1937 - 2020、この春亡くなった。合掌)作の舞台劇『街と飛行船』の六文銭による劇中歌「街と飛行船」の歌詞(詞:別役実、曲:小室等)

(↓)アメリー・ノトンブ『飛行船』に関するプロモーション・インタヴュー


(↓)小室等と六文銭「街と飛行船」


PS : 音楽ネタ
p153 - 154に唐突に登場するアンジュとピーの好きな音楽2タイトル。メタル好きとは聞いていたが、ノトンブはこんな音楽にも耳が肥えているのですね。
1) Skrillex "Ease my mind"


2) Infected Mushroom "Liquid Smoke"

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