2009年12月22日火曜日

Let's TWEET TWEET again!



 エイブラハム・インク『トゥイート・トゥイート』
 ABRAHAM INC. "TWEET TWEET"


 配給会社SPHINXのダミアン君とは長いつきあいなんですが,今年はDjango 100(ジャンゴ100)のCDなんかもあって,例年よりも取引高が多かったんです。長引く音楽業界危機の中で,ここ数年は毎年末「来年も続けられるかねえ?」なんていう暗い年越しの挨拶ばかりだったのに,今年はちょっと上向きのうす笑顔があったりする業界人も見ます。ダミアン君もそのひとりですし,かく言う私もしかりです。私の場合は長い長い売上減の下降グラフ線が2008年でやっと止まったという程度で,何も大喜びをする類いのものではありません。それでも家族で年を越せて,来年春までのヴィジョンが立てられるのだから,ほっと一息の感じはあります。
 ダミアン君も今年はこれでダメかもしれないと思っていて,10月頃まで不安材料はたくさんあったのですが,そこが「ショービジネス」の極端なところで,1枚のヒット作品さえあればすべてが変わってしまうことになるのです。ダミアン君の在籍する小さな会社の救世主はこの「エイブラハム・インク」でした。11月から1日に500枚出荷のペースだそうです。つまり万の単位に届くようなところにあるのですが,われわれのような独立の中小会社では会社の半期の旗色を変えてしまうような好珍事です。
 エイブラハム・インクはフランスの作品ではなく,米国のTable Pounding Recordsという会社の制作になるもので,Table Poungingがフランスのジャズ・レーベル Label Bleu(ラベル・ブルー)にライセンシングして,フランスではLabel BleuのCDとして商品化され,それをダミアン君のSphinxがフランス国内配給しています。因みにさきほど Amazon.com(米国)でこの作品検索しましたら「フランスからの輸入盤」ということになっていたので,世界中でこの作品はこのフランス盤しか存在しないのかもしれません。
 で,フランスでのリリースが10月19日。
 TSF JAZZやFIPといったFMで火がつきます。テレラマ誌やモンドミックス誌が絶賛します。そうなると多くの人がCDを買うようになるのです。
 エイブラハム・インクはクレズマー・クラリネットとニューオーリンズ系のブラス・ファンクとヒップホップの調和的融合に成功して,未体験のグルーヴネスを実現したプロジェクトです。中心人物は3人。かれこれ20年に渡ってニューヨークでクレズマー・クラリネットのヴィルツオーゾとして活躍するデヴィッド・クラカウワー(そのバンドの名前は Klezmer Madness!),ジェーム・ブラウンのJB's,ブーツィー・コリンズ,パーリアメント=ファンカデリックなどのトロンボーン奏者フレッド・ウェスリー,そしてカナダ人ヒップ・ホップ・クレズマーのDJであるソーコールド(本名ジョシュ・ドルギン)。クラカウワーとソーコールドは90年代末から共演していて,クレズマーとイディッシュ歌謡の21世紀的変種を模索していたのですが,ここに来てファンクの名トロンボーン奏者とそのホーンセクションを招き入れたら,とんでもないクレズマー・ファンクが出来てしまったというわけです。
 もともと東欧ジューイッシュ(アシュケナージ)の冠婚葬祭の伴奏器楽音楽だったクレズマーが,こうやってブラス・ファンクと溶け合ったら,その祝祭性が数倍に増幅される感じがします。アフリカ起源のブラックネスとバルカン・ジューイッシュ起源の超絶技巧クラリネットが一緒にハバナギラして,電気仕掛けも絡み合ってグルーヴィー。この足し算はそんなに簡単じゃないと思いますけど,私の今年下半期のめちゃくちゃお気に入りです。

<<< トラックリスト >>>
1. TWEET-TWEET
2. MOSKOWITZ REMIX
3. IT'S NOT THE SAME (FIGURE IT OUT)
4. THE H TUNE (HAVA NAGILA)
5. TROMBONIK
6. PUSH
7. "BALEBOSTE - A BEAUTIFUL PICTURE"
8. FRED THE TZADIK
9. ABE INC TECHNO MIX

ABRAHAM INC. "TWEET-TWEET"
CD LABEL BLEU LBLC6711
フランスでのリリース: 2009年10月19日


(↓エイブラハム・インクのプロモーショナル・ヴィデオ)

2009年12月19日土曜日

今朝の爺の窓(2009年12月)



 コペンハーゲン会議(COP15)が何の具体的な決議もできずに終わったのは、3日前から私たちを襲っている寒波が微妙に影響したのかもしれません。日中でも最高気温が零度を越えない日が何日間か続いたら、「温暖化」のリアリティーが薄れてしまう感じです。「まだまだ寒い日は寒い、だからたぶん地球も大丈夫」みたいな妙な楽観論ですね。
 向かいのサン・クルー庭園にシロクマ君が現れてもおかしくないような寒さです。1年で一番日が短い頃です。ドミノ師も外に出る時は、タカコバー・ママが手編みした毛糸の胴巻きを着てお散歩です。爺は雪多い北国の生まれなので、この頬が痛くなるような寒さはとてもなつかしく、子供の頃の記憶がふわ〜っと蘇るような感覚を楽しんでいます。ノスタル爺。

PS 1 12月20日
わがバルコンのリラの木の枝に吊るしてある鳥餌箱に、よく来てくれるメザンジュ(四十雀)です。うぐいす色がとてもきれい。初めて写真撮影に成功しました。

 

2009年12月9日水曜日

何でもアルノー



 アルノー・フルーラン=ディディエ『ラ・ルプロデュクシオン』
 Arnaud Fleurent-Didier "LA REPRODUCTION"


 アルノーとはもうずいぶん長いつきあいです。4年ほど連絡が途切れていましたが、この夏にラ・ロッシェルのフランコフォリーに出演したとどこかで読んで、まだがんばってるねえ、と思ったものですが、その直後SONY MUSIC FRANCEの2009年秋冬のリリース情報の中にアルノーの名前を見て仰天しました。おお、ついにメジャーデビューかあ。しかもレコード会社が次々に大物アーチストたちを解雇している時代に。新人アーチストはレコード会社がよっぽど勝算ありと踏まなければ契約できないでしょうに。難しい時勢にSONY MUSICは慎重に、しかも有効にプロモーションしています。アルバム発売のずいぶん前から、レ・ザンロック誌、テレラマ誌、リベラシオン紙、エル誌などに絶賛記事が出ました。エールのニコラ・ゴダン、ヴァンサン・ドレルムなどがアルノーを褒めちぎりました。国営ラジオのFIPやFRANCE INTERは9月頃からアルバム1曲めの「フランス・キュルチュール」をかなりの頻度でオン・エアしてます。
 で、アルバムの発売は延ばし延ばしで、最終的には2010年の1月4日に出ることになっています。
  と、ここまで書いていたら、今夜のテレビ番組「タラタタ」(国営フランス4。今夜のメインはシャルロット・ゲンズブール)にアルノーが出演していました。「フランス・キュルチュール」を女性ベーシスト&女性キーボディストを従えたトリオで披露しました(プレイバックだったような気もしますが、同番組の売りはプレイバックなしなので、ライヴだったんでしょうね)。「フランス・キュルチュール」は語りものなので、アルノーの音楽性のとんがったところは見えないでしょうが、ナイーヴな「父親は何も僕に教えてくれなかった」的なモノローグは、事情を知らない人には「新種のスラマーか」と思わせたかもしれません。
 私が初めてアルノーに会ったのは96年のことで、当時のインディーポップ誌「マジック」の自主制作盤コーナーに載ったノートル・ダム NOTRE DAMEというバンドの解散記念アルバムを通信販売で買って、気に入ってぜひ日本に紹介させてくれ、とコンタクトしたところ、アルノーがやってきて「いやあ、バンドはもうないから」みたいな...。当時22歳。17区ブルジョワのボンボンみたいな若い子たちが、自宅スタジオで作った「青春の記念盤」的なアルバム。ナイーヴで青臭く、それでも多重録音で弾ける楽器をすべて使った素人オーケストラルなサウンドが、ヌーヴェル・ヴァーグ映画のように低予算ながら遊びと荒削りが同居して...。
 アルノーは今晩の「タラタタ」で司会のナギーに対して「僕は音楽をやめるつもりであのアルバムを作ったのに、日本人に注目されて、再び音楽をやるようになった」という発言をしました。そうだったのですね。バンドはなくなって、それでも日本で注目されてNOTRE DAME名義であと2枚のアルバムを作り、そのうちの1枚は日本のレーベルが制作したものですし。良い時代でしたね。
 2004年、30歳。アルノー・フルーラン=ディディエ名義の初アルバム『若き芸術家の肖像 = PORTRAIT D'UN JEUNE HOMME EN ARTISTE』(これはもちろんジェームス・ジョイスからの援用ですが、ジョイスの方の題は "PORTRAIT DE L'ARTISTE EN JEUNE HOMME"。違いははっきりしてるんですが、ここでは説明してあげない)を発表します。これがインディー時代最後の作品ですが、日本では有名なのにフナックやフランスのレコード会社やFM局は何もしてくれない、という恨み言なんかが歌われてました。
 2009年アルノー35歳。作詞作曲編曲、ほとんどの楽器、全コーラス、ジャケットのアートワーク、ヴィデオクリップまで、全部ひとりでやらないと気がすまないところは、基本的に全然変わってません。「自分の好きなようにやりたい」をSONY MUSICは通してくれた、と私あてのメールで言ってました。これがインディーでやっていたら、やっぱり貧乏臭さが出て来ると思うんですが、さすがメジャーと言いますか、何か音処理がまるで違うように聞こえてきます。いつも通りのどこか調律がいいかげんなようなピアノの音がしますが。
 これは一種のコンセプトアルバムです。トップの何も教えてくれなかった父親への恨み言「フランス・キュルチュール」から始まって、その父親への逆コンプレックスから、生殖(ラ・ルプロデュクシオン。再生産)することを恐怖する若者が描かれます。それは母親に対して問い、恋人や、68年(5月革命)を知っているおばあちゃん、44年(ドイツ軍占領時代)を知っているおじいちゃん、などに問いかけ、なぜみんなは自分に何も教えてくれなかったのか、左翼になることも保守になることも知らず、万が一子供ができたらば子供に何も教えることができない親になることを恐怖して、愛の行為がブロックします。
 これはある種のサイケデリックな体験です。戦争で死んだ父親を思い続けてその欠乏感ゆえに自分に壁をつくってしまう、ピンク・フロイド『ザ・ウォール』の物語にも似ています。多分今日のテレビ「タラタタ」を見た多くの人たちは、アルノーが若き日のロジャー・ウォーターズに極似していることに気がついたでしょう。私はこれは偶然ではない、と確信しています。
 アルバムは私小説的で、映画的です。多くを語らない父親は、最後の曲で、この若者が小さい頃に母親と離婚していることが明かされます。「たとえすべてを語り合わなくても、いいんだ、父さん」という和解がこのアルバムのエンドマークです。
 サウンド的には「アルノー印」とでも言うべき、ひとり多重録音コーラスワークがあちこちで「決め技」になっていて、バート・バカラック/ミッシェル・ルグラン風のメロディーとハーモニーがびんびん迫ります。
 ジャケットは本当に分かりやすく、愛し合う多数のカップルが寝そべるビーチで、ひとり立ち尽くすやせっぽちの若者の背中です。大人になれない35歳です。
 ぜひ聞いてみてください。アルノーの才能はちょっとここで加速度がついたように私は見ました。

<<< トラックリスト >>>
1. FRANCE CULTURE (フランス・キュルチュール)
2. L'ORIGINE DU MONDE (世界の起源)
3. IMBECILE HEUREUX (幸福な愚者)
4. REPRODUCTIONS (ルプロデュクシオン)
5. MEME 68 (68年おばあちゃん)
6. JE VAIS AU CINEMA (映画館に行く)
7. NE SOIS PAS TROP EXIGEANT (注文をつけすぎないで)
8. MYSPACE ODDITY (マイスペース・オディティー)
9. RISOTTO AUX COURGETTES (ズッキーニ入りリゾット)
10. PEPE 44 (44年おじいちゃん)
11. SI ON SE DIT PAS TOUT (たとえすべてを打ち明けなくても)

ARNAUD FLEURENT-DIDIER "LA REPRODUCTION"
CD SONY MUSIC FRANCE
フランスでのリリース:2010年1月4日


(↓「フランス・キュルチュール」のクリップ)


PS 1 : 12月10日
(↓12月9日放映のフランス4「タラタタ」でのアルノー・フルーラン=ディディエ)